大賞エピソード
入賞エピソード

ワタシとサンシャインシティ 想い出エピソード大賞 受賞エピソード発表

ワタシとサンシャインシティ 想い出エピソード大賞 受賞エピソード発表

&Cityとは
&Cityとは

「あなたは、サンシャインシティに
どんな想い出がありますか?」
そんな問いかけに、たくさんの方が応えてくれました。
ご応募いただいた様々な「想い出」から、
10のエピソードが入賞となりました。
さらにその中から
4つの大賞エピソードが選出されましたので、
ここに発表いたします。

大賞エピソード

入賞したエピソードのうち、
特に印象的だった4つのエピソードが大賞を受賞しました。
大賞エピソードは豊島区やサンシャインシティに
所縁があるクリエイターとともに
作品化しましたので、
エピソードとあわせて紹介いたします。

「42年前…から現在」

ペンネーム : SHO さん(60代)

エピソードイラスト

42年前、サンシャインに近い学校に通ってたワタシは、学校の仲間とサンシャイン60展望台でアルバイトを始めました。

エレベーターガールとして、35秒間で決められたアナウンスをするのに必死だったのを今でも覚えています。

年月が経ち、今では還暦超えのワタシが見つけたのは、サンシャイン60展望台のリニューアルオープニングスタッフ募集の広告…。

特に年齢制限がなかった為、ダメ元で応募してみたら、なんと採用になりました。

周りの同年代の知人も皆ビックリして、中高年の希望!とまで言われました。笑

オープニングから約半年、短期バイトで働かせていただきましたが、若い皆さんと働けた事は宝だし、42年後にまた同じ場所で勤務できた事がなにより自分自身の力になりました。

チャレンジする事は、いくつになっても必要ですね。

これが、ワタシとサンシャインの良き想い出です。

このエピソードから生まれた作品

クリエイター作品

クリエイター作品

※動画は公開終了いたしました。

クリエイターからコメント
SHOさんの想い出エピソードを読ませて頂いて、サンシャインシティとそこに携わってきた方たちの歴史みたいなものをコントに落とし込みたくなりこんな仕上がりになりました。
このコントを観てもらった方に、改めて池袋・サンシャインシティを知ってもらえたら幸いです。

クリエイタープロフィール画像

クリエイター

しずる

プロフィール

村上純とKAƵMAによる、お笑いコンビ。2003年10月結成、NSC東京校9期生。 キングオブコントで過去4度決勝進出を果たす実力派コント師。
毎年2回、村上、KAƵMAそれぞれの作・演出による単独ライブを開催。
また、しずる・ライス・サルゴリラの芸人3組と作家・演出家の中村元樹の7人による演劇チーム「メトロンズ」としても活動中。

吉本興業にあるさまざまな「オモシロイ」を学べる学校「よしもとアカデミー」が2023年4月よりサンシャインシティに移転。村上はそこで講師としても活動中。

村上 純

KAƵMA

「父娘の展望台」

ペンネーム : むーむー さん(30代)

エピソードイラスト

「パパ、久しぶり!」
月に一度。サンシャインシティの展望台で父と会う。離れて暮らす私の楽しみだ。
実は両親は私が幼い頃に離婚している。以来父と会う日は決まって母が下のレストランで待っていた。

「パパのおうちはどのへんかなあー?」
展望台から真下を覗く。その声ははしゃいでいた。
「あそこがパパのおうちで、むーむーのおうちはあのへんかな」
父も嬉しそうに指をさす。互いの住まいを示す、点と点。それらをつなぐとふたりの気持ちが線のようにつながる。

「離れていてもむーむーのこと忘れないよ」
父は別れ際いつもそう言った。私も強くうなづいた。

そんな父が去年亡くなり、心にぽっかり穴があいた。
ひとりでサンシャインの展望台に来たものの、涙が邪魔をして景色が見られない。苦しくて。切なくて。

そんな時たまたま隣の親子の会話が聞こえた。
「ねえ、パパ。おうち、見えるかなぁ?」
「ほら。あの東京タワーの近くだよ」
はしゃぐ女の子はかつての私。やさしく答えるお父さんはかつての父。
何だか昔の自分を見ているようで、思わず目頭が熱くなった。
その日展望台から空を見上げるとこれまでにないくらい美しい空だった。

ああ、父は、きっと、ここにいる。
そんな気持ちでもう一度空を見ると、なぜだろう。涙がポロンとこぼれ落ちた。

このエピソードから生まれた作品

クリエイターからコメント
むーむーさんのエピソードを拝見して、世の中には変わっていくものと変わらないものがあり、それが両立することでお互いを引き立て合っているんじゃないかなと思いました。時代に合わせて姿を変えていくサンシャインの展望台があり、そこには変わらない人々の想いがある。それを漫画にしたいと思いました。

クリエイタープロフィール画像

クリエイター

姫野 ユウマ

プロフィール

漫画家。富山県出身・東京都在住。
代表作に『ぼくのツアーリ』(全2巻)、その他方々で読み切りを掲載。現在新連載の準備中。豊島区による「紫雲荘活用プロジェクト」二期生。

「小さなリュックサック」

ペンネーム : こっこ さん(30代)

エピソードイラスト

娘がまだ2才だった頃、ベビーカーでサンシャインまでお出掛けをしました。

買い物をしたりご飯を食べたりした後、ふと気づくとベビーカーに引っ掛けておいた娘用のリュックサックがありません! ぬいぐるみやタオルなどが入ったお気に入りのリュックサックです。
どこかに落とした様で慌てて通った道を探しましたが見つからず、しょんぼりする娘にゴメンねと謝りながら帰りました。

その日の夜は雨が降ったので濡れてるかもと思ったのを覚えています。
このときの娘は、お気に入りのリュックサックがなくなったのに大泣きする訳ではなく、ただただしょんぼりしていたのが印象的でした。

翌日、同じものを買い直そうか悩んでいたところサンシャインの防犯センターから見つかりましたとお電話をいただきました。
外の通路に落ちていたそうなのですが、踏まれないように道の脇の樹木そばに置かれていたそうです。

諦めかけていたところだったので、本当に嬉しい連絡でした。

道の脇に置き直していただいた方、防犯センターに届けていただいた方、防犯センターの方、みなさんの優しさで奇跡的に全く濡れず汚れもない状態でリュックサックは娘のもとに戻ってくることができました。

娘にリュックを手渡した際、嬉しそうに抱きしめる姿を見て落としたのがサンシャインでよかったなぁと思いました。

その後、娘は小学生になり今は弟が思い出のリュックサックを使っています。

このエピソードから生まれた作品

クリエイターからコメント
私自身も子どもが3人いるので、このエピソードにじーんときました。
サンシャインシティに来たお客さん達や、警備員の人のたくさんのやさしい気持ちがリレーされて戻ってきたリュックサック。そのやさしい気持ちを、今度は弟に伝える。そんなお姉ちゃんの成長を描きました。

「父と私とサンシャイン」

ペンネーム : タヌキ さん(50代)

エピソードイラスト

私が小学校3年生の頃だったと思う。
日頃仕事が忙しくほとんど家にいなかった父が突然「遊びに行こう」と私に声をかけた。

父と二人で出かけたことなどなかったので、どこに行くのか見当もつかなかったが、都内ドライブに連れて行ってくれた。

最初に皇居、国会議事堂前を車窓から楽しみ、上野の回転寿司でお昼を食べた。
小学生の私にとっては渋いコースになったが、最後にサンシャインの展望台に行った。
面倒みのいい父ではなかったので、ただ横にいて景色を眺めているだけだったが、私にとっては父との初めてのお出かけでなんだかとても嬉しかった。

あれから43年、
昨年父は亡くなり、時の流れの早さを感じている。
今、振り返ると人気の観光地には興味がない父が、サンシャインに連れて行ってくれたことを思うと、子供である私のことを考えてくれていたんだな、と感謝しかない。
今でも大切な思い出だ。

そして私はサンシャインの中にあるオフィスで働いている。
今年で25年目だ。

何だかんだと私の人生はサンシャインと共にある。

サンシャインには、ずっとずっと池袋のランドマークとしてあり続けてほしいと心から願っている。

このエピソードから生まれた作品

クリエイターからコメント
いまは亡きお父さんの不器用な愛情。描いている間も泣けて泣けてしょうがありませんでした。
(お話を伺った中で)「最初で最後のデート」という言葉がありましたが、新しくなった展望台でも、お父さんとデートできたらいいなと思い描きました。

クリエイタープロフィール画像

クリエイター

織田 博子

プロフィール

食を旅するイラストレーター/マンガ家。
豊島区駒込在住。
現地の空気感あふれるイラストやマンガが特徴。著作「世界家庭料理の旅」(イースト・プレス)他多数。
料理教室「世界家庭料理の旅」、豊島区の魅力を楽しみながら伝えるサイト「池ブルックリン」、コミュニティペーパー「こまごめ通信」主宰。

入賞エピソード

子供の頃の「想い出」、
家族との「想い出」、友達との「想い出」。
心温まる入賞6エピソードをご紹介します。

「生まれて初めての
水族館」

ペンネーム : わっちゃん さん(30代)

エピソードイラスト

待望の第一子、色んなところに連れて行ってあげたく少し早いと思いつつも息子が生後4ヶ月の時に初めてサンシャイン水族館に行くことに決めました。

着いて早々周りはもちろん息子よりも大きい子ばかり。
あぁやっぱり水族館に連れてくるには早すぎたと少しばかり後悔もしていました。

まだ4ヶ月、あまり興味も持たないだろうけど大人の私だけでも楽しもうと決めいざ最初の水槽へ。
しかし、水槽を見た瞬間の息子のキラキラした目。

たまたまそう見えただけだと思っていましたが、じっと真剣に見つめ時には水槽の中を泳ぐお魚を目で追っている姿に驚きました。

水族館は年齢関係なく楽しめるんだと感じました。

回っている途中年配の女性の方に「赤ちゃんちゃんと魚みてるね、目で追ってるね!」と話しかけられ、私以外の方もそう思ってくれたんだと息子が興味を持って楽しんでることが確信に変わりました。

どの水槽をみてもとっても楽しそうにしている様子に心から嬉しくなり、こんなに息子の初めての表情をたくさん引き出してくれたお魚さん達に心から感謝です。

「子供との思い出の曲」

ペンネーム : ちむ さん(30代)

エピソードイラスト

なんてことのない日常の話になるのですが、子供がまだ3歳になりたての秋冬に、毎日のように保育園の帰りにサンシャイン水族館に寄って、2人でぼんやりアシカショーの劇場の円形の段差の椅子に腰掛けて、キラキラするイルミネーションを眺めていました。

魚やペンギンたちをひと通り見た後、アシカコーナーに戻ってきて
「ここが気に入ってるんだよね〜」
と言いながら子供の方がさっさと段差を登り、腰掛けて、流れている音楽を聞きながらリラックスして、ゆっくり保育園のお話を聞く楽しい親子の時間でした。

その後、下の子が産まれて、なかなかゆっくり水族館に寄ることができなかったのですが、つい最近また、今度は3人で立ち寄って、同じ円形劇場の段差の椅子に腰掛けて、下の子は歩き回りたいと暴れていましたが、5歳になった上の子はゆっくりと音楽を聞いて
「懐かしいね、この曲大好きで、なんだかちょっとだけ悲しいような気持ちになるね」
と言うので、
「懐かしくてちょっと悲しくなるような気持ちのことを切ないっていうんだよ」と「ママもこの曲が大好き」
と伝えました。

親にとっての子供と大事に過ごした時間の思い出の場所が、子供にとっても小さいながらに大切な思い出として心にしまっておいてくれていたようで、とても嬉しかったです。

サンシャイン水族館の曲を聞くと、今でもキラキラしたイルミネーションと小さな子供がはしゃいでいる姿が瞼の裏に蘇ります。

どうかこれからも、地域の子供たちの思い出を作ってくれる水族館でありますように。

「家族との日常・子どもの成長、
そしてサンシャインシティに
ありがとう!」

ペンネーム : 雪の女王 さん(40代)

エピソードイラスト

サンシャインシティは子どもたちが小さい頃から「家族が楽しく、ゆっくり過ごす場所」。
水族館やゲームセンター、ショッピングで楽しみ、食事をしてお腹いっぱいになって帰るのがいつものパターンですが、先日は久しぶりに60階の展望台で景色を楽しんでから、プラネタリウムを鑑賞しました。

今までなら、プラネタリウムでは、アニメ作品を選択するところですが、子どもたちも大きくなったので、初めて、アニメではない作品を選びました。
今回選んだのは、「Songs for the Planetarium 星空と巡るプレイリスト」。
親も子どもも、「下の子がストーリーを理解できるかな~」とちょっと心配しながら入場しましたが、始まれば、アニメーションと音楽のおかげで、下の子も集中してみていました。

そして、最後のストーリー。
最後のストーリーは、お父さんを3歳のときに亡くした人のストーリーで、下の子が静かに涙を流し、ほほに伝う涙をぬぐい始めました。

上映が終わり、子どもが「パパが3歳のときにいなくなるなんて可哀そうすぎる。ママも可哀そう。悲しい。悲しいよー。大人になったあの人は長生きできますように。」と言っている姿をみて、子どもの心の成長を感じました。

小さい頃は、水族館で「帰りたくなーい。いやだ。」とダダをこねて泣いていた娘。
あの頃の記憶が強いけど、いつの間にか、娘は大きくなっていて、自分のために泣いてばかりの娘が他人のことを思いやれる娘へと成長していたことに気づく機会となりました。
そして、家族全員で「家族そろって毎日をすごせることが【あたり前ではない】」という話をして、今日という日に感謝した1日でした。

私たち家族にいろんな気づきを与えてくれたサンシャインシティに感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう!

「サンシャインシティで
上書きして」

ペンネーム : 相原梨彩 さん(10代)

エピソードイラスト

小さい頃から目が悪かった私はよく池袋にある眼科に行っていた。
眼科は嫌いだった。いつも混んでいる眼科はとても長く待たされる上、毎回のように落ちている視力に分厚くなっていく眼鏡。
まだ周りがほとんど眼鏡をかけていない頃から眼鏡をかけていた私は眼鏡ざると馬鹿にされていた。

「もう眼鏡をかけたくない」
そう言った私に母は困った顔をした。そんなこともあり眼科が嫌いだった私が眼科が好きになったのは帰りにいつもサンシャインシティに寄るからだった。
トイザらスに寄って色々なおもちゃを見たり試したり場合によっては買ってもらったりもした。
そんな眼科帰りのサンシャインシティで1番思い出に残っているのは水族館だ。

「今日は水族館に行ってみようか」
母の言葉に私は喜んだ。魚を見るのはとても好きだったからだ。
その中でも好きなのはペンギンだ。ペンギンがすいすいと泳ぐ姿はとても可愛かった。
その日、土日だったこともあって混んでいた水族館はペンギンの水槽に多くの人が群がっていた。
当時まだ小学生で背の低い私にはとてもペンギンが見えない。時間が経っても中々見えそうにないペンギンを私はもう見れないのかなと諦めかけていた。その時突然声をかけられた。

「お姉ちゃん、こっちにおいでよ」
1人のおばさんが手招きをしてきた。するとおばさんは声をあげる。
「子どもがいるので空けてくださーい」
するとおばさんの声に振り向き少し道が空いた。
ゆっくりと前へ進み前列でペンギンを見る。いつものようにすいすいと泳ぐペンギンはとても可愛らしかった。

あの時のおばさんにはろくにお礼も言えなかった。ただもしあの時のおばさんに会えたなら言いたい。
今でも私はあの時のペンギンが目に焼き付いているのだと。そしてあの時のペンギンが私の支えになっていることを。

「CMの記憶」

ペンネーム : 桜小町 さん(30代)

エピソードイラスト

小さい頃、私はあるCMにくぎづけでした。
それはサンシャイン水族館の「サンシャインシティの水族館に来てねー、来てねー、来てねー!」とアシカが歌い、魚が踊るCMです。放送されるたびにCMと一緒に歌って踊っていたため、私はサンシャイン水族館へ行きたいと夢見るようになっていました。しかし、その機会は訪れないまま時は流れ、CMの記憶も薄れていきました。

あっという間に私は大学生になり、最初の夏休みがやってきました。どう過ごそうか考えていると、どこかに遊びに行こうと友達が誘ってくれました。みんなが「浅草観光かな?」「やっぱ渋谷や原宿にする?」と盛り上がる中、ふとあのCMのフレーズと愛くるしいアシカ達が脳裏に蘇ってきました。そして私は思わず「サンシャインシティの水族館に行きたい!」と口にしていたのでした。
こうして決まったサンシャイン水族館行き。前日の夜は、遠足に行く前の小学生のようで、あれこれケータイで調べたりどうまわろうか考えたりして、なかなか寝付けませんでした。

翌日、ワクワクから一変、私はドタバタでした。行くことばかり考えていたせいで、目覚ましをかけ忘れて寝坊してしまったのです。なんとか支度を済ませ、駅まで全力ダッシュをして、電車に乗り込むことに成功。寝坊の代償で変な寝ぐせがありましたが、遅刻しない電車に乗れたので一安心…とこの時までは思っていました。

池袋に到着すると、たくさんの人に迷路のようなホーム。東京へ遊びにいったことはありましたが池袋駅で降りるのは初めてだったので、私はすっかり迷ってしまいました。すぐに友達に電話をしようとケータイを見ると充電が残り数パーセント! なんと前日に調べたまま充電をしないで寝てしまっていたのです。
自業自得とはいえ、一難去ってまた一難…。残りの充電で連絡をするとしたらメール1通が限界というところ。私は「サンシャインシティの水族館に来てねー!」と早打ちをして送信すると、駅の看板や街頭地図と昨日調べた記憶を頼りに「サンシャインシティ=高い建物」を目指して歩きました。

さすが池袋のシンボルであるサンシャインシティ。駅を出たらすぐに見つけることができました。サンシャイン水族館に着くと、友達が待っており無事に合流できたのですがなぜか笑い顔。理由を聞くと、私の送ったメールを読んだら、小さい頃に観たサンシャイン水族館のCMを思い出したと言うのです。そして私の寝ぐせもCMの魚にそっくりだとのこと。友達の中にも同じ記憶があると知り、私はなんだかこそばゆい温かな気持ちになりました。

それから一日、私達は水族館を満喫しました。空飛ぶペンギンを首が痛くなるまで眺めたり、チンアナゴとかくれんぼしたり、クラゲの幻想の世界に入り込んだり…。気がつくと、私は小さい頃の、サンシャイン水族館に夢見ていた自分に戻っていました。
やっとこの場所に来られた。やっとみんなに会えた。やっと夢が叶ったのです。

「サンシャインシティの水族館に来たよー!来たよー!楽しかったよー!」。帰り際、私は心の中でそっとあの歌を歌ったのでした。

「サンシャインシティ
納涼盆踊り大会」

ペンネーム : Pome さん(50代)

エピソードイラスト

サンシャインシティは私の第二の故郷です。サンシャインシティの近くのマンションに計15年近く住んでいたので、地下鉄に乗るのにも、買い物に行くのにも、必ずサンシャインシティの中を通りました。海外旅行に行く際も、サンシャインから空港リムジンバスに乗って出かけました。サンシャインシティはいつも活気があり、何をするにも本当に便利なので、とても自慢に思っていました。

サンシャインシティでは、一年中楽しいイベントがありますが、私が特に楽しみにしていたのは、毎年8月上旬にサンシャインシティ アルパの屋上にあるサンシャイン広場で行われる納涼盆踊り大会です。聞けばサンシャインシティが開業した1978年から開催されているそうで、今では地域の伝統文化と化した、老若男女が楽しめる盆踊り大会なのです。にぎやかな太鼓の音に誘われてサンシャイン広場に行ってみると、中央に大きな櫓が組まれ、周囲には子供が楽しめる輪投げコーナーや、サンシャインシティの飲食店が出す屋台コーナーもありました。
この盆踊り大会では、盆踊り参加者に、かわいいピンク色の手ぬぐいを、数量限定ではありますが無料でくださいます。私は毎年ピンク色の手ぬぐいをいただいては首に巻いて、見よう見まねで踊りました。この盆踊り大会では、定番の東京音頭や炭坑節だけでなく、近隣町会の方々が選んだ、少々珍しい曲もかかるので、知らないと慌てることもあるのです。

10年程前、元々足が不自由だった実家の母が入院し、それ以来、頻繁に母の元に通っては介護をする日々が続きました。疲れ果てながら家路に着く途中、偶然サンシャインから盆踊りの太鼓が聞こえてきました。介護で忙しくて盆踊り大会のことを忘れていたのです。もう終了間際でしたが、サンシャイン広場に行ってみると、櫓の上に登って踊る各町会のご婦人方が、とても生き生きと、楽しそうに踊る姿が見えました。私は老人介護施設からの帰りで、自分も歳を取ったら施設のお世話になるのか…と考えていた矢先にサンシャイン広場で揃いの浴衣を着てキビキビと踊る方々を見たので、普通以上に眩しく見えたのかもしれません。私もぜひこの方々のようになりたい、と思い、そばにいた盆踊りの主催席の方に、盆踊りの練習会などはありますか、とお聞きしました。その方は偶然、私が住む区域の町会長さんで、「考えてみる」と答えてくださいました。

数年後、母を看取って少し落ち着いた頃、私が住む東池袋のマンションの掲示板に、町会の盆踊り練習会のお知らせが貼ってあるのを発見。町会長さんが覚えていてくださったのだと思い、喜び勇んで町会の集会所に行きました。
町会の皆さんはとても優しく、私は親戚の集まりに参加しているような温かい気分になりました。一生懸命盆踊りを練習した後、サンシャインシティ盆踊りの当日に、町会のみなさんと櫓の上で踊らせてもらいました。生まれて初めての経験で、とても緊張しましたが、数年前に見て感動した、盆踊りを踊る側の人たちの一員になれて、とても嬉しく思いました。その時に皆で撮った写真を、今も大事にしています。

その後、世界中でコロナウイルスが猛威を振るい、サンシャインシティ盆踊りも数年間中止を余儀なくされました。その間、私は縁あって結婚し他区に引っ越すことになりました。お世話になった町会の方々にご挨拶できなかったことを悔やんでいましたが、今年の夏、幸運にもサンシャインシティ盆踊りで何人かの方々とお会いすることができました。
またいらっしゃいね、と言ってくださったのがとてもうれしかったです。

来年も第二の故郷であるサンシャインシティの盆踊りで、ピンク色の手拭いを首に巻いて元気に踊れるよう、健康管理に気をつけたいと思っています。

街画像

&Cityとは

この街で生まれたすべての“想い出”は 「誰かとサンシャインシティ(&City)」の間の大切な絆。
あなたの心のどこかに眠っている忘れられない楽しい体験や、ちょっぴり悲しかったできごと、大切な誰かとのひとときをサンシャインシティと共に振り返ってみませんか?
「&City」はそんな素敵な“想い出”エピソードをこの街で暮らす人たちと共有する活動です。

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